山行報告   八ヶ岳

山行山域
八ヶ岳(赤岳―横岳―硫黄岳)
山行期日
2002年2月9日(土)〜11日(日)
山行目的
縦走・登頂
メンバー
森岡創(L)、福田和重(酒)、山岸雄一郎(食)、酒井夕子(記)
コースタイム
● 9日(土)
市民病院6:00―美濃戸口10:00−美濃戸山荘10:40〜11:00−堰堤広場12:00―赤岳鉱泉13:20―行者小屋14:40―テント設営完了15:30
● 10日(日)
テン場6:00−赤岳7:40〜8:00―横岳10:15―硫黄岳11:25―ジョウゴ沢12:20〜13:50−行者小屋14:50
● 11日(月)
テン場7:40−美濃戸口9:15−富山15:00

☆★☆ 感 想 ☆★☆

冬山岩稜歩きの入門としてM氏と約2ヶ月前から八ヶ岳縦走を計画していた。中山尾根のバリエーションに行こうか散々迷ったあげく縦走をすることにした。しかし、富山の雪、天気との違いを味わい、また、アイスクライミングとは一体どんなものかを偵察に行くという大いなる目的をもった山行でもあった。

9日(土) 曇り

6時市民病院集合、久々の遠出山行で皆気合が入っているのか6時きっかりに出発する。今回の運転手はY氏。一度平スキー場へ行くときに危険な目に会っているのでちょっと、かなり心配…。安房峠を越えた頃、北八へ向う明雄さんから電話連絡。同じ山域へ別の仲間も入山していると、「山頂から手を振ろう」と思ったりと、楽しみがひとつ増える。時代にそぐわないかもしれないが、山岳会という組織に入会し本当に良かったと思っている。

登山口である美濃戸口(駐車1泊500円)からさらに、『チェーン装着の車のみ進んでください』の看板を先に進み途中の林道に停める。美濃戸山荘(駐車1泊1000円)までは緩い登りの林道だが、約40分を要した。初日は時間もあるということで、赤岳鉱泉から行者小屋テント場へ入ることにする。堰堤広場までは青空も時々見え、スノーモービルの跡できれいに除雪されている林道歩きをし、そこからは沢沿いの道をトレース通りに歩く。

空は雲に覆われてしまい冷たい風が出てきた。雪はサラサラで、沢の石は鉄がこびりついたように赤い。すべてが初めて目にするもののようだ。沢沿いを右岸へ渡ったり、左岸へ渡ったりしながら赤岳鉱泉へ到着。夏山のような人、テントの数、犬まで雨具を着て歩いている。小屋のすぐ前には硫黄岳へのトレースがついている。明日はここから下山してくる予定だ。

夏山と同じコースタイムを想定していたが思った以上に時間がかかっている。ここまででY氏の調子がいまいちのよう、何が原因かはわからないが調子が悪いとのこと…。荷物を皆で分けることにする。行者小屋までは緩い登りの後の急斜面を登ると中山尾根のバリエーションへと続く中山峠がある。先ほど出会った犬は中山展望台(5分)へ寄り道してきたようだ。10分の下りで行者小屋へ到着。このテン場にも40張りはあるだろう、とてもにぎやかで、夜のテントの明かりがなんとも言えずロマンチック☆

テント設営後は初食事担当のY氏の鍋料理と熱燗で楽しいときを過ごした、次の日があるから飲みたいのを我慢して…。(Beer500ml,350ml 日本酒1Lだけ。日本酒を人肌に温めるのは難しい・・)19時20分就寝 Zzzz

10日(日)曇りのち雪

4時起床。久しぶりに8時間睡眠で絶好調!反面、Y氏は寒くて眠れなかった様子。外はまだ暗いが八ヶ岳連邦の稜線がくっきりと見える。昨日の鍋の残りで作った雑炊を食べ、お茶を作る。出発前にトイレに行くと予想外に大渋滞。トイレがちゃんとあって人が多いと意外な事態に遭遇してしまう。しかし、なんとか予定通り6時に出発できた。

1ヶ月ぶりのアイゼン・ピッケルに少し緊張するが、F氏やM氏は1年ぶりだとかなんとか言っている。当初は阿弥陀岳を登る予定であったが、予定していた中岳と阿弥陀岳のコルに出る尾根にトレースがついておらず、ラッセルする気もなく即決「阿弥陀岳中止」となった。文三郎尾根から稜線まではトレースで固められた雪面を登って行く。夏道の鎖が見えるくらいに標高が上がると風も強くなり目出帽装着!稜線から赤岳山頂まではちょっとした岩場が続き、梯子もあるがとくに緊張するところもなかった。山頂で記念撮影し(電池切れで写っておらず…)、頂上小屋で水、食料をお腹に入れる。稜線は雪がないと思っていたが、休憩していた場所は小屋の屋根の上、『小屋明けで屋根の雪を水にするのでトイレはご遠慮下さい』との看板があった。

次に目ざすは横岳、いくつものピークがあるのを総して横岳と言うらしい。その中で最高峰が大権現2829Mであるが、勘違いして巻いたピークを引き返したりと珍道中が続く。赤岳からいったん下るが、地蔵尾根からの登山者が圧倒的に多いように思う。分岐にお地蔵さんが建っている地蔵尾根を過ぎてすぐ、M氏が遊べそうな岩(あとで地図を見たら、二十三夜峰という名らしい)を見つけ、アイゼン登攀の練習をする。前爪に体重をかけ、かかとを落として登る。手はオーバーミトン。やってみたいが命懸けで、フリークライミングがいかに安全かをしみじみ感じた。トラバースで何度も練習しているうちに、寒さで感覚がなかった足の指が温かくなってきた。稜線に出てからずっと感覚がなかった指が凍傷になったらどうしようと悩んでいたので一安心である。

そのうち吹雪いてきたので先を急ぎ、横岳でも記念撮影をする。ここからの下りには梯子と鎖がついていて硫黄岳からの登山者とで混雑していた。混雑した細い稜線を過ぎると、緩い斜面が永遠に続くような広い稜線歩きである。舗装道路のように木の棒が目印として立ててある。このあたりから、私は足が重くなり、息があがるようになってきたので、口元の目出帽を外し、マイペースでゆっくりと歩く。ガスで視界もなく、ただひたすら歩く。途中、写真撮影にはまったY氏を待つ間、私の左頬が黄色になっているとM氏よりご忠告いただく。大事には至らず、下山して1週間で風のあたっていた左の頬と鼻がひと皮むけ、現在再生中である。(H14.2.18現在)これも凍傷というのだろうか?

硫黄岳山荘を過ぎ、『硫黄岳山頂』という看板を3つ越えると、広い広い山頂が現れた。ここでも記念撮影、これでピーク3つ制覇である。 硫黄岳からの下山は、山頂が広くガスが出ると迷ってしまうということで、一番心配していたところだったが、しっかりと非難小屋の横にトレースがついており、下山途中も別のパーティーが刺した竹さおで迷うことはなかった。30分も下ると樹林帯の中で、吹きさらしの稜線を歩いていたことが夢のように思える。

硫黄岳―赤岳鉱泉には途中、有名なジョウゴ沢、大同心岩、小同心岩がある。M氏がジョウゴ沢偵察を提案していたので、時間も早いしアイスクライミングがどのようなものか興味もあったので、また沢を登ることにした。5分でF1に着く。巻き道を登り、さらに進むと大きなF2が現れた。F氏がリードで登る。久々に恐怖を感じたらしい…。次にトップロープでM氏、Y氏。私はその横にある巻き道(と思っていたけど、氷よりよっぽど危険!)を単独で登ってしまい、あとでM氏らからお説教。バリエーションでの単独は絶対にしないことを誓った。さらに登り、F3は見学のみとする。近づいて厚い氷の穴を覗くと、ごぉーごぉーと水が流れている。この氷が割れたらと思うとすぐに撤退し、F2まで戻り、アイゼンをつけたままの懸垂下降(初めてでどきどき)をし、ジョウゴ沢偵察を終える。

行者小屋に着き、西穂での失敗からすぐにアイゼンをはずす。体を温めたらすぐに宴会が始まった。今晩のメニューは「ス○ヨ」の未発売のおでん。昨日飲めなかった分おでんをつまみにたらふく飲んで(Beer500 ml 日本酒500 ml 梅酒 500 ml ウィスキー バーボン)恋愛話に花が咲く。ちょっとはめをはずし21時まで飲み続けた。

11日(月)雪

5時起床。またやってしまった…二日酔い。のどが乾くが、手持ちの水はカチンコチン。水作りを昨晩は怠ったため予定時刻より40分も遅れて出発することとなった。帰りは行者小屋―美濃戸山荘。こちらも沢沿いの道だが石は赤くない。靴スキーをしてどんどん高度を下げ、途中尻セードで遊びながら下山。美濃戸山荘から車までの最後の林道歩きが意外にも長く感じられ、氷で滑りながら無事下山することができた。

帰りは原村のもみの木温泉(500円)で入浴。10時開店だが10分前から登山者がたくさん待っている。私たちもその中の1組だが、なんだかあっという間にお風呂の湯が真っ黒になりそう。原サービスエリアでそば(390円天ぷらそば)を食べ、4時間で富山に到着。登山もドライブも宴会も全てが楽しい山行であった。

冬山に行きたい一心で、発案から計画まで立てたが、比較的若い(深い意味はなくF氏のことでもないよー)メンバーでの山行は初めて。計画中から出発前まで不安はあったが、無事終えることができた。冬山の楽しさを知ることができ、どんどん山行を重ねていきたいが、やはり、きちんとした技術や知識を身につけてもいきたい。ということで、GWに向けてぜひ雪訓を行いたい。よろしくお願いします。


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